ない

三年前の下書きを見つけた

そこには金木犀の散った花がまるで星屑の海のようだと

心を奪われている自分がいた

今は目の前に落ちている金木犀の花はただの花だ

 

二年前の投稿を見つけた

そこには秋が終わる頃の枯れ木の立ち姿を見て

寂しくなっている自分がいた

今家の外から見える枯れ木はただの木だ

なんでもない

 

去年の日記を見つけた

そこにはとうの昔に流行りを過ぎてしまったバンドのスローなラブソングに

言葉が迷子になるほどの憂愁を感じている自分がいた

今聴くそのラブソングはプレイリストの中のただの一曲だ

良い曲である

ただそれ以上の感情はない

 

自分のポエジーを大切にすることができない

大きな感動を覚えた その感覚をどうにか言葉にしようと使える言葉を尽くそうとしたいくつもの過去が

今自分の手元にはもうない 

あったことさえ定かではない

 

ではあの時の感情は 

言葉にせずにはいられなかったポエジーは嘘だったのか?

 

違う

それはたしかにあった

 

私は否定してしまう

私は私のポエジーを 私によって拒否してしまう

あの時動いた心は それを表明するために選ばれた言葉たちは

すべて今の私が取り消してしまう

そうして揺れ動く心に見放され

意味を持つ言葉たちに逃げられて

私は孤独になる

 

今目の前には何が見えるか

今ポエジーはどこにあるのか